ニューアイデンティティ
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05
今世紀に生まれた新しいお金「暗号通貨」。さまざまな利便性を持つ一方、乱高下する相場や高い環境負荷が批判されている。そんな暗号通貨を、社会を豊かにするテクノロジーにする。ベルギーのメディアアーティストが実現する、テクノロジーが見た「自然の夢」
2021.06.25
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2021.06.25
ビットコインは今世紀のゴールドラッシュだった。ギークな世界の産物だと思われていた暗号通貨は、今や世界経済と環境を左右する「産業」に成長している。
ビットコインは、世界中のコンピュータによって維持される巨大な取引台帳ネットワーク「ブロックチェーン」における一機能と言い換えられる。ブロックチェーンには各種契約情報、アート作品の来歴、物品のトレースなど様々な取引が記録できるが、記録はコンピュータの計算によって可能になる。この計算を世界中で分散することでブロックチェーンの効率性と堅牢性は維持されており、計算を分担することの協力報酬として発行されるのがビットコインだ。このプロセスをマイニング(採掘)と呼ぶ。しかし現在、暗号通貨の取引が過剰化したことも相まって、世界各国でマイニングが行われた結果、コンピュータで消費される膨大な電力の環境負荷が大きな社会問題になっている。
ケンブリッジ大学が提供している、ビットコインネットワークの総電力負荷と消費量をリアルタイムで推定する「Cambridge Bitcoin Electricity Consumption Index(CBECI)」によれば、ビットコインネットワークが消費する年間総電力は99.32TWhと推定され、これはフィリピンやオランダの年間消費電力に匹敵する(2021年6月14日にアクセス)。
気候変動に対する意識の高まりとともに、暗号通貨のマイニングはエネルギーを大量に消費する負の側面が批判されている。
テスラCEOのイーロン・マスクが一時は暗号通貨を支持していたものの、一転して同社の販売するEVの購入にビットコインを受け付けないとツイートし、ビットコインの価格を急落させたことが話題となった。マスクの一連の動向は市場操作だったとも批難されているが、現在は「マイナーによる合理的な(~50%)クリーンエネルギーの使用が確認され、将来的にポジティブな傾向が見られれば、テスラはビットコイン取引の許可を再開する」としている。
現在、暗号通貨の持続可能性を向上させるための新しいビットコイン・マイニング・カウンシルが設立されている。このカウンシルは、暗号通貨のマイニングに使われたエネルギーの透明化を推進し、再生可能エネルギーによるマイニングを推進すべく設立されており、マスクもサポートに加わっているという。
また、ウォールストリート・ジャーナルによれば、世界のビットコイン供給量の4分の3は中国で生産されている。しかし現在、中国政府はこの状況を抑止しようとしている。同国は環境負荷に配慮した政策を進めるとともに、国家のデジタル通貨を導入することを進めているからだ。
少し前はよく使われたメタファーだが、データはまさにデジタルでできた「石油」だ。人類はデータをつかっても化石燃料と同じ環境破壊をしているわけだ。そこで今回は、暗号通貨を使った、まったく新しい世界をつくる実験を紹介する。しかもこの実験は科学者ではなく、アーティストによって進められている。
ベルギーの首都ブリュッセル。観光地で有名な広場、グラン・プラスや、王立美術館、さらに現代美術館「MIMA」などが立ち並ぶ中心部のエリアから少し外れた場所にあるレトロなビルの2階。アーティスティックな街とは打って変わって、部屋の中は半田ゴテやラジエーター、オシロスコープなど、電気工学の道具や部品で埋め尽くされたギークな雰囲気だ。そこがメディアアーティスト、「ラビッツシスターズ」のラボだった。ラビッツシスターズは、ブリュッセルをベースにするベネディクト・ジェイコブズとロール・アン・ジェイコブズによる、アーティスト・ユニット。デジタルテクノロジーを駆使して展開するインスタレーションをアルスエレクトロニカ・フェスティバルをはじめとする国内外で展示している。
ぼくが彼女らのラボを訪れたとき、部屋の中央の机の上では暗号通貨のマイニングが行われていた。PCのディスプレイには暗号通貨マイニング用のWebプラットフォームである「Hive OS」が表示され、GPUで暗号通貨「イーサリアム」がマイニングされていた。実際にこの通貨を使って買い物ができると思うと、現実の「お金」とあまりに乖離したその風景が不思議に思えた。
ディスプレイには、マイニングのバランスやGPU内部の温度などが神経質にモニターされている。暗号通貨のマイニングにおいてGPUの温度はマイニング効率を左右する重要なパラメータの一つだ。過度な熱の発生はGPUの性能を低下させ、マイニング効率を低下させるからだ。
そして机上のGPUには、マイニングには一見関係なさそうに見える、4つの車輪を搭載した小さなEVが接続されていた。「わたしたちがいま作っている作品は、データを本当に石油、つまり燃料として使おうとするものなのよ」ベネディクトはそう話し、GPUの温度が摂氏75度に達したとき、合図をすると、ロールは冷凍庫から氷の入った箱を持ってきて、GPUの上に乗せた。次の瞬間、EVの車輪が勢いよく回転したのだ。
ロールは「この作品は、マイニングによってGPUから発生する熱を “ゼーベック効果 “という現象を利用して電気に変換し、電気自動車の燃料にするというコンセプトなの。現在は捨てられてしまっているコンピュータの排熱を社会の資産として再利用することで、サステナブルな暗号通貨の可能性を探ろうというわけ」と話してくれた。
ゼーベック効果は、物体の温度差が電圧に直接変換される現象だ。GPUの熱と氷の温度差を電気に変えて、EVのモータを動かすという仕組みだ。また、この逆を「ペルティエ効果」といい、この作品でも使われているが、その原理を応用した「ペルティエ素子」はコンピュータのCPUを冷却する機構に広く使われている。
ぼくが目撃したのは、彼女らのプロジェクト「Crypto Miner Car」の実現可能性を探る「フィージビリティ・スタディ」だった。彼女らのプロトタイプは、暗号通貨のマイニングの熱だけで、1/25スケールのEVに十分な運動能力を生み出すことに成功していた。2019年の12月、新型コロナのパンデミック以前の出来事だった。
パンデミックの間も彼女らは制作を続け、Crypto Miner Carの最新バージョンを公開・ブリュッセルで展示も行っていた。2021年6月10日に、それらの内容をオンラインインタビューで聞いた。
僕が2019年にブリュッセルで見たときは、まだEVといっても車輪だけの、外装もないプロトタイプだったが、現在はイーサリアムはもちろん、ビットコイン、ライトコインなど他の暗号通貨にも対応し、それぞれの通貨のロゴを模したエクステリアも完成していた。
そしてぼくが見た初期のものは、氷による冷却という応急処置じみた方法でゼーベック効果を実現していたが、最新のプロトタイプでは、冷却ファンと高効率のラジエーターによって温度の勾配をつくりだすことでゼーベック効果を得ている。給電は、走行コースの中に設置された充電ポイントで行い、EVは蓄電池で走行するという。
なぜこのアイデアをEVによって実現しようと思ったのか、ベネディクトに尋ねてみると、こんな返答があった。
「19世紀は石油と自動車産業が経済の主役だった。そして自動車は私たちのステータスシンボルになった。しかし自動車にはいまその輝きはない。このプロジェクトでは、自動車のシンボルをつかって未来を再発明しようというわけなのよ。自動車が、社会的・経済的な再生を意味するシンボルとして新しく機能する未来をこのプロジェクトでは描いている」
このプロジェクトの面白いところは、理論的には同じ仕組みを用いたEVを作成し、社会で動かすことができるということだ。出発点はアーティスティックなのだが、実装はまるでスタートアップのプロトタイピングを見ているかのようだ。
「私たちはDiabatix社(熱設計に特化した技術を持つベルギーの企業)と共同で、Crypto Miner Carの動力源となる廃熱利用メカニズムを開発した。周囲の空気の流れを最適化し、ラジエーターの効率を最大化する機構が組み込まれている」(ベネディクト)
今後はEVの高度な自律走行を行うためのAIの開発も進める。「AIの強化学習モデルを導入し、あらかじめ規定されたルートを一定の速度で走行するために必要なエネルギー量を車両が自律的に学習するようにする」という。すでにAIの開発はブリュッセルの大学とコラボレーションをしながら進めている。冷却システムなどにも、大学の知見が活用されているそうだ。
ベネディクトはCrypto Miner Carのゴールについて、新たな「自然」をつくることだと話してくれた。
「今後はEVにAIを導入し、都市を豊かにするというコンセプトを実現してゆく。Crypto Miner Carは、走るほどに地球環境を回復し、マイニングによって走る場所を経済的に豊かになる仕組みを都市にもたらすことができる。これは自然の営みととても良く似ている。テクノロジーによって、第二の自然をつくることを、仮想的なゴールとしているわ。そしてこれからは展示を通し、世界中でこのコンセプトを伝えていきたいと思っている。もちろん日本にもね」
蝶やミツバチが花のみつを取るかわりに受粉を助けるように、街の中をCrypto Miner Carが走行しながら新しいテクノロジーと経済の生態系をつくっていく。その営みに、テクノロジーが見る、自然の夢を思った。
車に代表される、ぼくらの生活のインフラとなるテクノロジーは、ずっと大企業による「便利の物語」だった。しかしこれからは、物語ををつくる主体が変わっていくのかもしれない。少なくともラビッツシスターズのようなアーティストがつくる物語は、美術館のショーケースに閉じ込めておくにはあまりに魅力的なのだ。
ラビッツシスターズ/メディアアーティスト
ソーシャルメディアのリサーチャーであるベネディクト・ジェイコブスとメディアアーティストのロール=アン・ジェイコブスによるアーティストデュオ。ブリュッセルを拠点に活動し、アート、テクノロジー、ソーシャルシステムの交差点を模索する作品を多数制作する。GAFAに代表されるテックジャイアントに新たな課税システムを提案する作品「BitSoil Popup Tax & Hack Campaign」は2018年のアルスエレクトロニカ・フェスティバルで大賞を受賞している。