越境者たちの鳥瞰図

越境者たちの鳥瞰図
食べて野で泄し命を循環。ノグソの達人が説く持続可能な社会の作り方 前編

ナンバー

03

食べて野で泄し命を循環。ノグソの達人が説く持続可能な社会の作り方 前編

日本のきのこ撮影の第一人者・伊沢正名は還暦を前にカメラを置き ノグソの可能性を広めるべく「糞土師」へと転身した。 47年間ノグソを続け、土に返したノグソは1万5000回以上。 膨大なノグソを礎に築いたのが、命を循環させる「糞土思想」だ。 循環型社会を築く上で、避けては通れないテーマに切り込んだその人生とは。

取材:麻生弘毅
撮影:高橋郁子

2021.03.23

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2021.03.23

/ 取材
麻生弘毅
/ 撮影
高橋郁子

1万5000回のノグソ

茨城県と栃木県の県境に近い富谷山の山麓。澄みきった空を里山の稜線が切り分けてゆく。山の端につけられた街道をたどって目指す家の門前まで来ると、家老風の主が顔を出したところだった。

「ちょうど、今から出すところなので……」

促されて後に続くと、主が目指したのは500mほど離れた雑木林だった。聞けば、4000㎡のこの林は、ある思惑のもとに買い求めたものだという。あたりはひときわ環境が良いのだろう、イノシシを狙う罠を埋めたことを知らせる札がヒノキの幹にかかっていた。

「先日も、しゃがんでいるすぐわきを、イノシシがうわ~っと駆け抜けていったんですよ」

涼やかに笑ったかと思うと、ではここでと靴先で地面に穴を掘り始めた。直径は20cm、深さは10cmほど。何をするのか察して、慌てて茂みを挟む位置まで下がり、息を飲む。

「両足の幅はそう、30〜40cmくらいですね」

本人はいたって泰然自若。そうしてスタンスを決めて穴の真上にしゃがみこみ、虚空を見つめた。

 ………………………………………………。

ひと仕事を終えると、ウエストポーチから数枚の葉を取り出して尻をなで、水の入ったボトルを取り出してさっと洗い清めた。

立ち上がって衣服を正し、穴を一瞥。うんとうなずいてから、足下の土をかけてゆく。それは、糞土師・伊沢正名による15135回目の営み(2020年12月14日現在)──ノグソの瞬間であった。

一般的な水洗トイレが一回に使用する水の量は7~8L。伊沢は一回の排便で数枚の葉と30~40CCの水しか使わない。

ひとくちに1万5000回といっても、その頻度が週に1度ならば288年以上かかる計算だ。現在70歳の伊沢がこの記録を打ち立てられたのには理由がある。伊沢は1974年に「信念を持って」ノグソをはじめ、1980年代以降は突発的な事故を除いた全ての排便を屋外で行なっているからだ。

47年間の活動のなかには、4793日(13年と45日)という連続ノグソ記録が含まれており、今は累計2万回を虎視眈々と狙っているという。ちなみに、21世紀になってからのトイレの使用はわずか16回だとか。いずれも下痢や入院などによる止むに止まれぬ事情によるものだ。

「出張や旅行の間は、あらかじめ地図でノグソが可能な場所を見つけておきます。それでも急な便意に襲われることもある。数m先を人が歩いている茂みで難を逃れたこともありました。人に出くわしたこと? ありますよ。こちらは出している最中だから動けない。そんなときはにっこり笑ってあいさつするんです」

行為も記録もずぬけているが、伊沢にとってノグソとその回数の更新は目的ではない。自然界をめぐる命の循環を自分のところで断たないために、地球上のひとつの生き物の務めとして、ノグソに取り組んでいる。

「葉っぱで尻を拭くなんて、と思うかもしれませんが、じつは紙よりもずっと拭き心地が良いものがたくさんあるんです。それに、ちょっとした工夫で使えそうもない葉っぱも、使いやすくなるんです」

そう言うと伊沢は、手近にあった枯れ葉をクシャリと握ってみせる。すると葉っぱは脆くも粉々に砕け散った。続けて、ウエストポーチからビニール袋を取り出した。なかには茶色い葉が挟まれている。

これは今朝8時、この同じ蔓から採っておいたカラスウリの葉なんです。触ってみてください」

一見、同様の枯れ葉だが、丁重に厚紙で挟まれた葉は、朝露だろうか、しっとりと水分を帯びている。

「枯れ葉でも湿り気があれば柔軟性を取り戻すし、生のときよりも拭き心地がずっと良くなるものがいくつもある。大きさや強度に不安があれば、厚くて丈夫な葉を裏打ちに使ったり、何枚か重ねればいい」

使うのが葉っぱと水だけなら、埋めたウンコもろとも簡単に土に還るという。

「場合によっては、数日で跡形もなく消え去ることもある。栄養がたくさん残っている人間のウンコは、森の動物にとってごちそうなんです」

そう言うと伊沢は、イノシシの罠を示す札をちらりと見て、いたずらっ子のように微笑んだ。

お尻拭きセット。この日は柔らかな毛が覆うギンドロと新鮮なアオキの葉を重ねて使用。拭ったあと、水で肛門と手指を洗う。

ウンコを通じて循環の輪へ

自然界には植物と動物、そしてきのこをはじめとした菌類が存在している。植物は太陽光と二酸化炭素、土中の無機物、水を取り込んで、葉を茂らせ、酸素を生み出す。動物は酸素を吸い、植物や他の動物、菌類などを食べ、二酸化炭素とウンコを排出する。菌類は動物のウンコや動植物の死骸を消化し、二酸化炭素を空気中に、チッソ、リン、カリウムなどの無機物を土中に排出。ぐるりと一巡して、それらはまた植物の栄養となる。

三者それぞれの養分である「ごちそう」は、他の生き物が必要な養分を吸収したあと、残りカスとして排出した「ウンコ」にほかならない。自らを賄うエネルギーを作り出せない人間は、この命の輪のなかでしか生きながらえることはできない。ならばなぜ、他の命を奪っておきながら、トイレによって循環を遮断するのか。

日本では長きにわたり、ウンコは堆肥として活用されてきたが、戦後、化学肥料が出まわるようになると一転、厄介者として扱われるようになった。海洋投棄などの処理方法を経て、現在は集められたウンコは下水処理場で処理したあとに埋め立てるか、燃やして灰にして、セメントの材料などに使われるという。

「一回あたりのウンコの量は200~300gなので、一人あたり年間で70~100kgになる。日本全体では1000万t。これだけの量のウンコを膨大なエネルギーを使って集め、最終的には燃やしているわけです。“常識”とか“良識”がある人のなかには、私がノグソをすることを批判する人もいます。しかし、おかしいのはどちらでしょう。地球規模の摂理を鑑みず、人間の都合のみを追求した人の語る“人権”とか“人間性”などという概念を、わたしは疑っています。そういう意味で、わたしは『人でなし』なんですよ。ノグソをすることで捕まったり訴えられたりしたら、徹底的にウンコで闘うつもりです

──食は権利、ウンコは責任、ノグソは命の返しかた──

これこそが、50年近くをかけて磨きあげた伊沢の「糞土思想」をひと言で言い表したものだ。その哲学は、どんな道のりから生まれてきたのだろうか。

ノグソのために購入した山林。ノグソが生態系に組み込まれたのか、最近は以前よりもウンコの分解の速度が早まった気がするという。

ウンコを通じて自然と共生

1950年、茨城県西茨城郡の岩瀬町(現在の桜川市)に伊沢正名は生まれた。幼い頃、小児結核と診断されたものの、野山を駆けまわるまでに回復。裏山できのこや木の実を探し歩く自然好きの少年へと成長する。アルベルト・シュヴァイツァーや野口英世の伝記に触れ、将来の夢は医者になること。ところが、水戸市内の進学校に通う通学列車のなかで見聞きした、大人社会の汚さにショックを受ける。

「そのいやらしさに辟易し、ひいては姑息な社会そのものが許せず、医者への道を断念。俗世を離れて人里離れた森に籠もろうと、営林署を目指して、農学部の林科を志したんです」

ところが、折からの高度経済成長は豊かさをもたらしたが、公害や自然破壊を招いてもいた。各地で森を伐る営林署は、その先兵のように思えた。

「結局、進むべき道がなくなり、人間界を捨てて仙人になろうと決意し、高校3年の4月に中退しました」

血気盛んな青年は、バックパックを担いで山から山へ。安住の地を求めて旅を続けたものの、大規模な森林伐採や林道、ダム工事を目の当たりにするばかりだった。そのいっぽう、見知らぬ人の車に乗せてもらい、家に泊めてもらいもした。2年におよぶ旅を通じて、人の業の深さと優しさに触れた。

「人間には悪い面と良い面があるのだな、と。そうした人の温かみに触れることで、もう一度、人間社会に戻ろうと思えたんです」

高校時代に通っていたのは地域でいちばんの進学校だった。退学とともに独学、独習の人生を歩み始める。

そうして20歳になった青年は、自らの生きる道を「自然保護運動」に定める。何の予備知識もないまま、母校や周辺の高校、茨城大学を訪ねては仲間を集め、自然保護の重要性を説いてまわった。自然観察や清掃登山などを精力的に行なうなかで会員は増え、他の団体とも連携をとり、開発行為に対する県議会への署名運動、請願活動などを展開するなど、力を増していった。

「それらの活動がうまくいった時代背景として学生運動があり、若者たちに『なんとかしなくては』という気運があったんです。安田講堂に向かうか、自然保護を叫ぶか……というような。安田講堂事件のときは進学しなかったことを後悔しました。『しまった、進学してればあそこでゲバ棒を振り回せたのに!』と(笑)。しかし、学生運動はその後急速に下火に。それとともに、会の活動も衰えていきました」

会は解散したが、6年間の活動で伊沢は大きな鍵を手にした。そのひとつが自然保護運動の現場を記録すべく手にとった、カメラだった。

もともと、絵を描くことが好きだった伊沢は、一筆一筆に心をこめることにやりがいを感じており、シャッターひとつで写ってしまう写真に興味はなかった。

「ところが、カメラでとらえる逆光の美しさに気づいてしまった。逆光というのは透過光だから、濁りがない。あの透明感を絵筆で表すのは難しいですよ」

そしてもうひとつがきのことの出会いだった。

「ある山を登っている最中に真っ赤な美しいきのこに出会い、夢中でシャッターを切りました。後日手に入れた『カラー自然ガイドきのこ』によって、それがタマゴタケであることを知りました」

きのこの魅力にとりつかれた伊沢は、その本の著者・今関六也によって、動植物の「死」を分解して土に還し、「生」に甦らせる仕事を担うのが菌類だったことを知る。伊沢はこのときの衝撃を、自著『くう・ねる・のぐそ』でこう記している。

ノグソを埋めたら、細い枯れ枝を立てる。枝が朽ちるころにはウンコは分解され、その養分はすっかり植物に吸収される。

──私はこの本に、単なる科学以上の哲学的なものを感じた。それを一言で言えば、死や腐ることは忌まわしいことでも、ましてや終わりなどでもなく、つぎの生きものに命を受け渡すことにほかならない。人々は死の恐怖から逃れるために宗教にすがるが、私はキノコを理解し受け入れることで、死の恐怖やそのマイナスイメージを消すことができた。今関先生の説くキノコによって、私はそれまでの自然観のみならず、人生観までも見事にひっくり返されてしまった──

 

「それまでの自然保護運動は、たとえば縄文杉やトキなど、人間から見て貴重だと思う自然を残すことに重きを置き、わたし自身もそれにとらわれていました。しかし、自然のいちばんのすばらしさは、菌類が動植物の死骸やウンコを分解し、新しい命へと循環させることにある。自然保護とは、象徴的ななにかを残すことではなく、命の循環を守ることだと気づいたんです」

知られざるきのこの姿を発信すべく、伊沢は写真家になることを決意。そして時を同じくして、人生を決定づけるできごとに向かい合うことになる。それは近隣で起きた屎尿処理場建設の反対運動だった。

「自分でも散々やってきた住民運動ですが、自分はトイレでウンコをするけれど、近所に処理場をつくられるのは困る……というのでは話になりません」

自然保護を叫ぶ本人が、自らのウンコを自然のサイクルからはみ出させてどうする。自分のウンコに責任を持つならば、ノグソで命の循環にのせるほか、道はない。

こうして伊沢は1974年1月1日に記念すべき初回のノグソを行なった。その翌年には『アサヒカメラ』にきのこの写真が掲載され、それを機に写真家への道を歩み出す。そして76年には自然写真を貸し出すネイチャープロダクションの一員となった。

「食べられるか毒かでしか語られなかったきのこの隠れた働きを写真家として広めるいっぽうで、わたしは彼らのお世話になってウンコを分解し、活かしてもらう。こうして、きのことウンコを通した自然と共生する生活が始まったのです」

ネイチャープロダクション加入時の伊沢は26歳。こののち、日本を代表するきのこ写真家となり、そして唯一無二の糞土師となることなど、知る由もなかった。

 

後編はこちら

伊沢正名 糞土師

1950年、茨城県生まれ。1970年より自然保護運動をはじめ、1973年にのちの人生を決定づけるタマゴタケに出会い自然写真家となる。1974年からノグソを開始し、1990年には「伊沢流インド式ノグソ法」を確立。2020年末までのノグソは1万5000回を超える。おもな著書・共著に『きのこ博士入門』、『カビ図鑑』、『日本の野生植物 コケ』、『葉っぱのぐそをはじめよう』、『ウンコロジー入門』など。現在、ドキュメンタリーフィルムの取材を受けており、今秋完成予定。