越境者たちの鳥瞰図

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虫が変える世界の食卓。昆虫食研究者が思い描く「虫を食べると得をする社会」 後編

ナンバー

07

虫が変える世界の食卓。昆虫食研究者が思い描く「虫を食べると得をする社会」 後編

未来の食の選択肢として、虫を食べる文化がなかった国々も昆虫食の可能性を探り始めている。先進国のなかでは珍しく昆虫食の文化をもっていた日本はどんな未来を選び取るのか。「食べる、食べないではなく、いかにして昆虫食を受け入れるか。世界はすでにその段階に来ている」と言うのは昆虫食研究者の佐伯真二郎。トップランナーが見通す、昆虫とそれを食べる人々とつくる「次代の昆虫食」とは。

聞き手:藤原祥弘
撮影:高橋郁子

2021.08.27

/ Posted on

2021.08.27

/ 聞き手
藤原祥弘
/ 撮影
高橋郁子

姿を変える日本の昆虫食

農業害虫の駆除とタンパク源の確保を兼ねて採集されたイナゴ。狩猟本能を満たす遊びとして愛された蜂の子採り。かつての日本の昆虫食は、レジャーを兼ねた採集型の調達法が主だった。しかし、採集では安定供給が難しい。現在、昆虫食の牽引者たちは、養殖に向いた昆虫の選定と育成技術の向上にしのぎを削る。

佐伯が環境負荷の小さい養殖方法である小規模農業に可能性を見出すなか、日本の食用昆虫の生産現場は工場内での大規模育成に力を入れている。今、多くの企業が取り組むのがコオロギの養殖だ。

「昆虫の養殖は家族で行なう小規模農から、大型の工場で行なうものまでさまざまです。一概にはどれがよいとはまだ言えません。日本で昆虫の養殖が本格化するときも、個人での養殖から組合で管理する方式、工場での大規模な生産までさまざまな形が取られると思います。しかし、コオロギについては自動化された設備で安価に養殖する技術が海外で確立された、という情報も聞こえています。日本で大規模養殖の目処がつくころには、価格面で太刀打ちできない可能性が高い。そうなると、倫理的に生産された高品質なものを、小さい組織で商売するほうがよいかもしれません」

「世界と競える方法で養殖する、という課題のほかにも超えるべき壁はあります。『すりつぶせば食える』、『見た目が課題だ』というアドバイスは多く寄せられるのですが、そういう人は粉末にした昆虫を売っても買ってくれないのです。これは粉末を扱う事業者から聞いた話ですが、アドバイスを寄越す人は自分が食べたくない理由を探していて、こちらが歩み寄ったとしても、お金を出してはくれないのです。昆虫食については受動的な人が多い。おそらく、昆虫食のもう少し先のライフスタイルまで提案しないと動いてくれないでしょう。そういった未来の生活の提案は、昆虫の見た目を気にせずに食べてくれる人と一緒につくっていきたいと考えています。いたずらにブームを起こしても、過ぎ去れば生産地には在庫が余ってしまう。急がなくても買ってくれる人々と、着々と進められる方法を取ろうとしています」

自著『おいしい昆虫記』では昆虫の姿を生かした目に楽しい料理を紹介。セミやバッタに混じって、驚きの虫も……。

「生産技術の向上や忌避感の克服とは別の動きとして、ラオスやタイのような昆虫食の習慣がある国々の人々の流入も昆虫食の一般化を進めると思っています。昆虫食は彼らと日本人の文化衝突を避ける目的で受け入れられるでしょう。個人として食べるかどうかは自由ですが、彼らの文化である昆虫食を嫌悪するのは民族差別とつながりかねません。受け入れるかどうかではなくて、どうやって受け入れようかと考えないといけない段階だと思います」

佐伯が具体例に挙げたのが、一昨年埼玉県の公園に掲出された食用向けにセミを採集することを禁じた張り紙だ。張り紙の掲出は、食用に大量に捕獲している人がいる、との通報がきっかけだったが、食用での採集を禁止する一方で、子供の夏のレジャーとしての昆虫採集はこれまでの慣習として配慮された。この出来事に対し、佐伯はセミの資源量に配慮するなら採集の目的ではなく捕獲量を問題にするべきだった、と指摘する。

「なぜレジャーとしての昆虫採集は慣習として許され、食用目的の採集が慣習として許されないのか。また、食用目的の採集を禁じる公園がある一方で、ある公園では無害でおいしい毛虫であるモンクロシャチホコを自治体の費用負担で殺虫している。公共の場での昆虫の扱いは、クレームにただ反応するのではよくありません。これからは地域で、多様な文化の背景を意識しながら合意形成されていくのが望ましいですね」

「虫の扱い方についてはクレームを言った人の要望が通りやすいのが問題。ロジカルな合意形成が必要です」

​​先進国の間でも、食物としての昆虫の扱いは国ごとにまるで異なる。食べる習慣がなかったことから、以前は流通食材として昆虫が認可されていなかったEUでは、2015年から厳密な食品安全の審査が進んでいる。何種類かの昆虫は食材に適していると判断され、2021年中に正式に認可される見込みだ。これに対して日本は、先進国でありながら昆虫を食べる文化があったため、昆虫食について安全面、流通面での規制がなかった。

「日本は先進国のなかでも昆虫食文化圏の国ですから、昆虫とどのような未来を作っていくかを提案していける立場になれればと思います。これから先進国の人口は減り、途上国は増える。そして温暖化は進む。多数派になりゆく途上国の人々が昆虫を食べる文化や昆虫農業を日本にもってきたときに、どのような合流を目指すのか。個人の選択としてどれだけ進むかは未知数としても、社会の選択として今から考えなくてはいけないでしょう」

コックコートの背面には「未来を養え」の文字。昆虫食のトップランナーは二歩も三歩も先を見据えている。

「虫を食べないことで起きる不利益」を考える

昆虫食については、自然への負荷や社会的な正しさの面に加えて「虫を食べないことによって引き起こされてきたかもしれない不利益」のことも考えなくてはいけないと佐伯は言う。

「昆虫食の話をしたときに、多くの人から聞かれるのが食物アレルギーの可能性です。結論を先に言うと、エビやカニのような甲殻類は節足動物の中でも昆虫に近いので、エビやカニでアレルギーが出る人は虫でも出ることがあります。しかし、アレルギーが出る可能性があるから昆虫はできるだけ食べないほうがいい食物だ、と考えるのは早計です。アレルギーについては『昆虫を食べたことによるアレルギー』と同時に『昆虫を食べないことによるアレルギー』の可能性も考えなくてはいけないからです」

これまで、食物アレルギーへの対応はアレルゲン(アレルギーを引き起こす物質)を徹底的に排除することが一般的だった。ところが、アレルギーの予防の観点ではそうではなさそうだ、という仮説が出されている。

2008年に提唱された「二重抗原曝露仮説」では、ピーナッツアレルギーの発症例からアレルギーの起きるメカニズムに新しい観点を提供した。従来はピーナッツアレルギーを発症しないためには、乳児期にピーナッツを摂取しないほうがよいと考えられていたが、「家族はピーナッツを食べるが、乳児は食べない」グループと「家族はピーナッツを食べ、乳児も食べる」グループで追跡調査を行なった結果、後者のほうがアレルギーの発症率が低いことがわかったのだ。

家族がピーナッツを食べると空気中に微量のピーナッツタンパクが浮遊する。こんな環境でピーナッツを食べずに乳児期を過ごすとピーナッツアレルギーが引き起こされやすくなる。家族がピーナッツを食べている家庭においては、乳児に少量のピーナッツを食べさせたほうが、アレルギーの発症を予防できるというのだ。

これは、食物への曝露は経口と経皮の2つのルートがあり、経口での曝露は食物への寛容を促すのに対し、経皮からの微量の曝露はその反対に食物へのアレルギー反応を引き起こすからだと考えられている。乳児のアレルギー予防の観点からすると、アレルゲンが浮遊している環境で育つ場合は、アレルゲンになりえる食物を乳児期に口にしたほうが、のちにアレルギーを引き起こしにくくなる。

「ピーナッツの食物アレルギーの事例から推測できるのが『昆虫を食べないことで引き起こされるアレルギー』です。人間の生活空間から昆虫を完全に取り除くことは難しく、私たちは日夜昆虫やダニに由来する微量のタンパクに接触しています。そんな環境で昆虫を食べないと何か起きるでしょうか? 参考になるのがコチニール色素(カイガラムシの一種から抽出される赤色色素で化粧品に使われる)の食物アレルギーです。日本でコチニール色素にアレルギーを起こすのは女性がほとんど、という集計があります。そして日本の女性はコチニールを食べないけれど、化粧品などを通じて皮膚に接触する機会が多い。あくまで状況証拠からの推測ですが、昆虫が生息する環境にいて『常に微量の昆虫が肌に触れているのに、昆虫由来のものを食べない』という状況が、昆虫へのアレルギーを引き起こしている可能性が考えられる。もしかしたら、環境中にあるものを摂食する習慣は、人の免疫を健全に保つ上で重要なのかもしれません。これから昆虫食のリスクが検証するときには『昆虫を食べないことのリスク』も同時に見えてくると良いでしょうね」

​​最後に佐伯は、大人が虫を食べないことが、子供から将来の食の体験と栄養の選択肢を奪ってきたかもしれないことも指摘した。

「以前、『昆虫を食べたいと言う生徒がいるのだが、どうしたらいいかわからない』と小学校の先生に相談を受けたことがあります。人間も含め、離乳期をもつ動物の多くは、子供ほど新しい食べ物に寛容で好奇心があり、大人になるにつれて不寛容になり関心を失っていきます。昆虫食が受け入れられるかどうかは、幼少時に食物としての虫に触れられるかどうかが大きいんです。受け入れられる食材に幅を持たせることは、目まぐるしく社会が変化し、新たな地球規模の問題が発見される現代において、未来での選択肢を増やすことでもあります。さらにいえば、虫を食べることを想像できない大人ばかりの今の社会は、その大人が子供だった時、素朴に虫を食べたいと考える一部の子供が変人扱いされ、その機会を奪ってきた結果かもしれない。だから子供たちには『昆虫を食べたいと思うことは変なことではない』というメッセージを届けたい。その上で、安全に昆虫を食べていくにはどうすべきか、保護者の皆さんと考えられるとよいですね。今後、市場が安定していくことで、昆虫食が苦手な保護者でも扱える手ごろな価格と安全性を両立した製品が出てくるでしょう。そうすれば、虫を食べない世代も虫の食べ方を次世代につなげられるようになります。虫を食べるほうが得をする社会は、すぐそこまで来ていますから」

佐伯真二郎/蟲ソムリエ

食用昆虫科学研究会理事長。昆虫食を通じて昆虫と人間の関係をより良くする「蟲ソムリエ」の活動を展開する。現在はラオスに滞在して昆虫の養殖技術の普及による農村部の栄養改善と所得向上に取り組んでいる。SNSとブログでは、農業、アート、自然科学の視点から昆虫食の最新情報を発信する。著書に『おいしい昆虫記』がある。