越境者たちの鳥瞰図

越境者たちの鳥瞰図
虫が変える世界の食卓。昆虫食研究者が思い描く「虫を食べると得をする社会」中編

ナンバー

06

虫が変える世界の食卓。昆虫食研究者が思い描く「虫を食べると得をする社会」中編

人が利用できない資源をタンパク質に変換できることから、先進国でも注目が高まる昆虫食。養殖時の環境負荷が畜肉と比べて少ない種も見出され、日本でも大規模養殖に向けた研究が続けられている。ところが、昆虫食研究家の佐伯真二郎が未来の昆虫食を拓く場所として選んだのは東南アジアのラオスだった。海の向こうで培われる、昆虫を軸にした未来の食料生産について聞いた。

聞き手:藤原祥弘
撮影:高橋郁子

2021.08.20

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2021.08.20

/ 聞き手
藤原祥弘
/ 撮影
高橋郁子

昆虫が拓く未来の食料生産

昆虫食の素晴らしさが語られるとき、栄養面の優秀さがことさらに強調される。しかし、佐伯の活動地であるラオス農村部は、鶏卵と同じ頻度で昆虫を食べているにもかかわらず、住民の栄養状態はよくないという。現地で長年活動してきたNGOのISAPHと共に調べてみると、彼らの食事はタンパク質とエネルギーは足りていたが、脂質が大きく欠けていた。そして、5歳未満の小児のうち実に4割が何らかの栄養不良に見舞われていることも判明した。

 「この問題を解決するには、どんな作物をつくるのがふさわしいのかを探すところから活動を始めました。調査の対象には昆虫も含まれていましたが、栄養問題を解決する食物が昆虫ではない、という結論に至ったときはラオスを離れようと思っていました。しかし幸いなことに、2019年までの調査検証で昆虫が栄養問題を解決する可能性を秘めていることを示すことができました。これまでのNGOや国際協力の活動では、現地で昆虫を食べていることを知りながら、昆虫食を支援する前例はほとんどありませんでした。言い換えれば、昆虫を食べる文化を持たない先進国がラオスへ一方的な技術を押し付けた結果、昆虫食が無視されてしまったとも考えられます。つまりこれまでの国際協力は、彼らの昆虫食文化を無視することで、結果として彼らに損をさせていたといえるでしょう」

 昆虫は「貧困地域の貴重なタンパク源」と表現されがちだが、ラオス人が昆虫を食べるのは「おいしいから」であり、栄養源が目的ではなかった。そもそも現地では栄養教育が浸透しておらず、住民たちは自分たちに栄養が欠けていることを問題視していなかった。問題が認識されていないため、住民たちが栄養改善を動機として動いてくれるはずもなかった。

 「ラオスの農村部は基本的に自給自足。現金収入が月1000円以下の世帯が半数以上という地域です。稲作を手伝って小銭を稼ぎ、野山に野生食材を探しにいけば暮らしていける。そんな状況では『昆虫の養殖はお金になるよ』、『儲けたお金で食料を買えるよ』という提案は彼らには魅力的に映らなかった。もちろん、ビジネスに乗り気で目端の利く人もいるのですが、そんな人は教育歴が高かったり、村で既にビジネスが成功していて裕福だったりする。栄養の改善を強く働きかけなくてはいけない貧困家庭に対しては『簡単に育てられてしかも美味しいよ』、『あの人もやっているよ』というアプローチのほうが効果的でした」

 そこで佐伯は、育てたものを生産者が自分で食べることもでき、なおかつ高く売れるヤシオオオサゾウムシという甲虫を研究対象の第一選択とした。この虫は脂質と不飽和脂肪酸に富み、市場での価格が1kgで1400円ほどと高価。飼育は簡単で2kgの乾燥キャッサバから1kgのゾウムシを生産でき、出荷できるサイズになるまで35日ほどしかかからない。

ヤシオオオサゾウムシ類の大型種Rhynchophorus vulneratusの幼虫。味がよく、12gもの重量がある。(佐伯真二郎提供)

「生後1000日までの乳幼児の栄養不良は、成長後の健康や収入にマイナスの影響を及ぼすことが知られています。3歳を超えて栄養を補っても手遅れなんです。その点で脂質に富むヤシオオオサゾウムシは優れていた。大家畜の飼養のように力が要らないので、産後すぐのお母さんでも小さくチャレンジでき、生産者が家庭で育てたものを売らずに子供に与えても栄養になる。市場で売れれば、そのお金で別の栄養価の高い食物を買って帰れる。儲かるというアプローチでは養殖に乗り気でなかった人にも試しに育ててもらったら、自分の子供が好んで食べるのを見て、養殖を続けてくれる人も現れました」

 実はラオスでは食用昆虫を買って食べるのは富裕層だけだという。ラオスの市場では円換算で1kgの牛肉が967円なのに対し、蜂の子は1kgで1240〜3445円、バッタは1378〜2067円ほどで売られている。月の収入が1000円以下という農村部では、美味しい虫は採って食べるもの、余れば売るものなのだ。しかし採集昆虫は収穫も不安定で、市場で高値でも生産者がそれで生計を立てるは安定性に欠ける。

 佐伯はこの構造こそラオスでのビジネスチャンスだと考えている。貧困世帯が多い農村部は殺虫剤を買うこともできないが、これは昆虫養殖にはうってつけの環境だ。採集がメインだったラオスの昆虫市場に、安定的に養殖した昆虫を売りこみ、流通品質を向上させる。そして品質向上によって並行してラオスの国外にまで販路を拡げていく。ラオスの生産者と国外の富裕層の間で、虫を介して公平な富の交換を行なうのだ。

 「農地に殺虫剤を撒いて野菜の収量を高め、昆虫食をやめようとしていた先進国が、再度虫を食べる必要が出たからと安く虫を買おうとするのは、昆虫を食べ続けてきた国々の文化の盗用にもなりかねない。昆虫食を守ってきた国から虫を買うなら、相応の対価を払うべきでしょう。育成された虫そのものに限らず、その育成技術についても、持つべき人が先に持つ必要があると考えています」

「昆虫食から得られる益は、まず食べ続けてきた人に還元されなくてはいけない」

国際連合食糧農業機関(以下FAO)は昆虫食の可能性について2010年と2013年の2度にわたって報告を出している。2010年の報告は伝統食材としての昆虫食の有用性についてフォーカスしたものだった。しかし、この報告への先進国の反応はほとんどなかったという。その3年後、地球規模の温室効果ガスの話題を切り口とした2013年の報告書で、先進国は温室効果ガスの排出を抑えられる昆虫食に注目するようになる。

 先進国による昆虫食の将来性の発見については、嬉しさの反面、その視野の狭さに反発する気持ちもある、と佐伯は言う。

 「自分たちにも問題が及ぶようになってから昆虫食を『再発見』するのはご都合主義というか……。どこか、コロンブスの『新大陸発見』と似ているような気がします。ちょっと待て、あなた方は昆虫食を発見したつもりかもしれないけれど、そもそも人類はずっと昆虫食を知っていたでしょう、と。ヨーロッパ人は新大陸でトマトやピーマン、トウモロコシなどを『発見』して持ち帰りましたが、今の昆虫食のムーブメントも、それと同じように発見者側の目線にばかり立ってはいまいか。ヨーロッパ人にとってはトウモロコシやトマトは発見だったでしょうが、ネイティブにとっては、長く利用してきた作物です。この轍を踏まないためにも、昆虫食ではこれまで食べ続けていた人が得をするような仕組みをつくりたい。一方的な文化の盗用にならず、昆虫食を守り続けてきた土地にその富を返す仕組みをつくるのが、私のラオスでのミッションだと思っています」

 地球温暖化対策は、抑止はもちろん適応にも戦略が必要だと考えられている。いますぐ温室効果ガス排出をゼロにしたとしても、数十年にわたって温暖化が進むと推定されている。日本においても、平均気温の上昇による農畜産物の高温障害が課題となる。未来の日本は、現在南の地域で栽培されている農作物に適した気候になるだろう。その農産物のなかには昆虫も含まれて良いはずだ、と佐伯は考える。

 「現在、ラオスで取り組んでいるゾウムシの生産システムは高温耐性に優れます。つまり、気温が高くなった未来の日本で必要になる技術の要件を満たしています。日本が必要とする生産技術をラオスに先行開発してもらっている、ともいえるでしょう。この事業をJICAなどの助成金で動かしているのも、未来への投資として温帯の先進国からの経済支援が必要だと考えているからです」

 昆虫を通じた栄養改善、文化を盗用しない食糧生産、温暖化に備える技術開発。これらを実現する場所として佐伯はラオスを選び、小規模農業と昆虫の生産を組み合わせた総合的な食料生産システムの構築を急いでいる。

「温暖化が進んだ世界での食糧生産は大きな課題。ラオスで培われた技術はいつか日本で役立つ」

小規模農家の大きな可能性

最近のフードテック(※先端技術で食の可能性を拡げること)では、大規模集約型農業の効率と収量を高める技術に注目が集まる。一方で、FAOが注目するのは小規模農家の支援だ。これは現在の世界の食糧生産の多くの割合を小規模農家が担っていることに理由がある。

 「推定はいくつかありますが、55カ国を比較した2018年の論文では、世界の食料生産の55%を5ha以下の小規模農業が担っていて、小規模なほど農地の作物が多様で、廃棄物もより少ないと報告されています。これを考えると、未来で必要とされる技術を大規模効率化一辺倒で探すのはアンバランスでしょう。少なくとも、大規模集約型農業には出稼ぎ問題を悪化させる一面がある。これもNGOと働くなかで知ったのですが、出稼ぎ労働は本人と残された家族の栄養状態を悪化させる要因となっています。両親が祖父母に子供を預けて農村部を離れると、母乳での育児ができなくなる。たとえ家にお金が送られても、世話が不十分なために子供の栄養状態が悪いまま、という状況も現地で見ています。また、農業は小規模なほうが土地に順応しやすく、多くの生物を畑とその周辺環境で涵養できる。地域社会の経済と環境を未来に維持し続けるには、小規模農業の選択肢も捨ててはいけないんです。そして、小規模農業は昆虫の養殖とも相性がいい」

 佐伯が力を入れるヤシオオオサゾウムシは、家族規模での養殖が手軽に行なえて、人が直接利用できないキャッサバを飼料にできることも強みだ。キャッサバは食物として有用だが毒もある。この毒のおかげで栽培時に殺虫剤が不要だが、人が食べる場合は毒抜きや発酵といった手順が必要になる。ところがヤシオオオサゾウムシは毒抜きをしていないキャッサバを飼料にできる。キャッサバでヤシオオオサゾウムシを育て、そのフンを農地に還元することで、どこまで循環型の農業を達成できるか。佐伯はその検証を進めている。

 今のラオスでは、ほぼ全てのキャッサバがデンプン原料、バイオエタノール原料として海外に安値で輸出されている。同じキャッサバ農地から現地の栄養に適した食料を持続可能な形で生産できるのではないかと佐伯は考える。

 「私がキャッサバとゾウムシの仕組みを考えていたころ、昆虫食研究者のシャーロットさんがブルキナファソで、トウモロコシとシアという木、そのシアを食べるイモムシを組み合わせた効率的な地域農法を見つけて論文にしていました。シアの実は植物性の油脂に富む作物ですが、この木は野生のイモムシに葉っぱを食害されてもある程度冗長性があり、収量が減らないのです。この農法では、シアの樹間にトウモロコシを植えます。イモムシがシアの葉を食べることでトウモロコシの日照が確保され、イモムシの糞はトウモロコシの肥料になり成長が促進される。そしてシアはイモムシにある程度食べられても実をつける。これは農地の昆虫を殺して収量を高めるか、殺さずに収量低下を受け入れるか、というこれまでの農業の二択に対して、第三の選択肢を伝統文化から見つけ出したことになります」

 また、収穫向上を目的とした農薬の使用が、公衆衛生とトレードオフになることもある、と佐伯は言う。これまでの大規模な農業では単一の作物を広範囲に植えるため、害虫の防除のための薬剤散布が必須だった。コスタリカのオレンジ農園ではイトトンボによって蚊の発生が抑えられているが、農業用殺虫剤を散布すると、蚊のほうがイトトンボより早く薬剤耐性を獲得する。そして、イトトンボが薬剤耐性を得るまでのタイムラグで薬剤耐性のある蚊が増える。これによって農業従事者がマラリアなどの蚊媒介性感染症に罹りやすくなる可能性が指摘されている。

 農薬を使う農業は万能ではない。農薬は害虫も減らすが、益虫も同じように減らしてしまう。農薬の有用性の大きさゆえに、これまでさまざまなトレードオフが見過ごされてきたのではないか、と佐伯は指摘する。

 「現代の農業は虫の犠牲の上に成り立っています。わたしたちは今まで昆虫を排除して得をする社会で生きてきました。殺虫剤で害虫も益虫も無差別に殺して、ただ地面に戻してきた。それなのに、消費者には昆虫を圧迫し消費している自覚はない。また、殺虫剤を使うことで耐性のある昆虫を生み出してもいる。しかし、農業の仕組みを少し変えるだけで、もっと環境負荷の低い、生態系を真似した農業ができるかもしれない。そこに気づいてもらうのがいちばんのポイントです。殺虫剤を減らしつつ野菜を作り、畑の虫も食べられる、というトータルで農家が得をする農業を実現したい。昆虫の生理や生態を研究する応用昆虫学は、虫を殺すことに使われてきました。そろそろ、生かすほうに使ってもいいと思います」

佐伯真二郎 蟲ソムリエ

食用昆虫科学研究会理事長。昆虫食を通じて昆虫と人間の関係をより良くする「蟲ソムリエ」の活動を展開する。現在はラオスに滞在して昆虫の養殖技術の普及による農村部の栄養改善と所得向上に取り組んでいる。SNSとブログでは、農業、アート、自然科学の視点から昆虫食の最新情報を発信する。著書に『おいしい昆虫記』がある。