越境者たちの鳥瞰図

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食べた命をノグソで循環。ノグソの達人が考える共生社会の作り方 後編

ナンバー

04

食べた命をノグソで循環。ノグソの達人が考える共生社会の作り方 後編

ノグソを通じて、自分を養った命を再び自然に還す糞土師・伊沢正名。 47年間ノグソを続け、土に返したノグソは1万5000回以上。 数えきれないノグソと思索の果てに導き出したのは、 ノグソを通じてヒトを循環の輪に戻す「糞土思想」。 稀代の実践家が見つけた、真の共生社会をつくるヒントとは。

取材:麻生弘毅
撮影:高橋郁子

2021.04.12

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2021.04.12

/ 取材
麻生弘毅
/ 撮影
高橋郁子

知らないことが力になる

この地球には、菌類と植物、動物の3種の生き物が、隣り合って生きている。

きのこをはじめとした菌類は、人間にとって価値がないように思われるウンコや動植物の死骸を分解して土に還すとともに、二酸化炭素を空気中に、チッソなどの無機物を土中に排出する。植物はそれらを取り込んで光合成を行ない、残りカス──いわばウンコとして──酸素を排出する。動物たちは酸素を吸い、植物やその他の動物や菌類を食べて生きながらえ、ウンコをし、やがて死んでゆく。

下等生物などと呼ばれながら、めぐる命を土台から支えるきのこたち。その働きと自然界の大いなる循環を知った若き日の伊沢正名は、写真家となってその存在意義を広めようと決意していた。

伊沢がきのこの撮影に本格的に取り組みはじめたのは1975年のこと。当時、一般向けのきのこの図鑑は少なく、専門とする写真家もいなかった。きのこの写真の多くは、研究者や植物写真家が撮影したものだったが、きのこを表現するものとしては、話にならないレベルの写真が多かったという。

「良いことがあった日は特別なきのこを使う」と見せてくれたノウタケというきのこは、シフォンケーキのような肌触り。

「たしかにきのこは生え方や大きさなど、植物と似ている点は多い。しかし、何の疑問ももたず、すでに完成している植物の撮影法できのこに向き合っても、その姿を正しくはとらえられないんです」

植物には花があり、おしべやめしべというポイントがある。そこにさえピントが合っていれば、他はボケていても写真として成立するのだが、きのこはそうはいかない。

「きのこにはカサ、柄、ヒダ、ツバ、ツボと押さえるべきポイントがいくつもあり、そのすべてが写っていないと識別ができないんです。つまり、きのこの全部にピントが合っていなくてはならない。したがって植物の撮影とはまったく別の技術やとらえ方が必要なんですよ」

ところが若き写真家は、撮影のいろはも知らなければ、人から教わるのも大嫌い……。

「しかし、なにも知らないことがわたしの力になったんです」

きのこの全体にピントを合わせるには、レンズを絞り込んで長時間露光をしなくてはいけない。ところが、きのこが生えているのは光量の少ない日陰が多い。シャッターが動くわずかな振動でもカメラがブレ、特に拡大接写となれば影響は大きくなった。

「そこでわたしは、ブレを抑えるためになるべく長い時間、露光させました。まるで反対だと思うでしょう? シャッタースピードが遅いからブレるのに、さらに長時間露光するわけですから」

伊沢の撮影技術は、逆転の発想によって生まれた。シャッターの開閉による揺れがブレを生むなら、揺れる時間に対して、揺れていない時間を長くつくればいい。カメラがまったく動かない時間が長くなるほど、シャッターの開閉による一瞬のブレは影響が小さくなる。写真の定石を知らないからこそ思いつけたテクニックだった。

「偶然なのですが、使っていたフィルムもきのこ撮影に合っていた。当時使っていたのはコダックのエクタクロームというフィルムでしたが、そのフィルムは長時間露光すると赤みが強く出たんです」

日陰での撮影では撮った写真の青味が強くなる。そんな場所で赤みを帯びるフィルムを使うことにより、補色関係にある青と赤が打ち消し合い、発色のよいきのこの写真をものにすることができた。

「知らないからこそ、普通はやらないことを同時に行なった。つまり、マイナス×マイナスでプラスへと転じたんです。偶然とはいえ、余計な知識があったらできなかった。これこそがなにも知らない強みなんです」

常識に縛られず、自由な発想で地平を切り拓く。のちの糞土思想の萌芽は、このあたりにも見ることができる。

「今はきのこの写真を撮る代わりに、お尻できのこを感じている」

写真道、ノグソ道を極める

生えている環境や生態の妙を押さえた精緻な写真が評価され、伊沢は次々ときのこやコケ、変形菌などの図鑑、書籍を手掛けることになった。撮影する機会が増えるとともに、野山で過ごす時間も多くなる。それゆえ、ノグソの回数も順調に向上していった。1974年は年間73回、1976年は161回、後処理に葉っぱを導入した1977年には194回と上昇してゆく。

「初めのうちは、義務感でやっていたところもあり、ノグソも数が伸びませんでした。ところがデータをとり続けることで、数値の伸びが実感できるようになった。そうするとがぜん、意欲がわいてきますよね」

82年には是非とも出会いたいと長年願っていたアシナガヌメリとの邂逅を果たす。しかもそれは、自身のノグソ跡から生えたもの。つまり、ウンコがきのこによって分解されたという、動かぬ証拠だった。

「アシナガヌメリはアンモニア菌なので、ノグソを続けていればいつかは……とは思っていたんです。苦節9年目、わたしの両輪である、きのことウンコががっちりと手を結んだ瞬間でした」

「きのこは生えてはいないけど……どうなっているでしょうねぇ」。と、古いノグソあとを掘り返す。
小動物、昆虫、菌類によってすっかり分解された元ノグソ。糸状のものは、栄養を欲して伸びてきた植物の根だ。

その年から、年間ノグソ率(排便にノグソが占める割合)は90%の大台に。90年には、仕上げに使っていた紙の使用を完全にやめ、葉っぱと水のみで仕上げる術を身につけた。

「木からつくる紙は土の中で簡単に分解されると思っていたのです。しかし、偶然、同じ場所でノグソをしたところ、前にしたウンコは完全に分解されていたのに、紙だけはしっかりと残っていた。大木をも分解する菌類を寄せ付けないちり紙とは……そこから葉っぱで拭い、仕上げは水で行なう、伊沢流インド式ノグソ法を確立したんです」

1999年には年間ノグソ率100%を達成。2003年にはノグソ千日行(連続ノグソ)を成功させている。

写真家業も順調で、90年代半ばまでに手がけた書籍は25冊になり、自然写真家として揺るぎない地位を築きあげた。

「生態系におけるきのこの重要性を伝えることがいちばんの目的でしたが、親しんでもらうために、食べること、採ることも推奨していました。しかし、その頃からきのこをめぐる環境が悪くなっていったんです」

日本各地の山林の荒廃は80年代から見られていた。環境の悪化によってきのこが減るいっぽう、折からのきのこブームで遠方からも人が大勢やってくるようになった。山に入っては大量のきのこを持ち帰り、採るだけではなく林を荒らし、ゴミを捨てる……そんな光景が目立つようになってきた。

「きのこを通して自然を知り、ひいては自然を守ってもらうために写真を撮ってきたのに、結果的には自然を、そして人心までも荒らすことに一役買ってしまった……そんな思いが積み重なってきたんです」

それに加え、誤食による死亡事故なども目につくようになってきた。それらはきのこを愛する伊沢の心に重くのしかかっていく。

そんななか、2006年に『きのこ博士入門』を出版。思いの丈をこめた一冊がつくれたことで、写真家としての仕事にひと区切りをつけることができた。そうして、これまで深めてきたノグソの作法と思想を携え、ノグソ一本、糞土師として生きていくことを決意した。

「やりきったから、写真家への未練はなかった」

満を持して、糞土師の道へ

2007年から2009年にかけては、自らのノグソを掘り返し、彼らが新しい命に変わる過程を克明に記録。ノグソが土になるまでの物語と、自身の半生を綴った『くう・ねる・のぐそ』は大反響を呼んだ。

最新刊である『ウンコロジー入門』では、日を追ってウンコが変化、分解される様子をわかりやすく解説。ノグソに虫や動物が群がり、菌類や栄養を求めて草木の根がウンコに伸びる様子などをカラー写真で紹介し、匂いと形状の変化をグラフで明らかにした。さらには分解後の味わいにまで言及している。

──しばらくためらったものの、意を決して口に放りこむと……??? あっけないほど無味無臭でした。そしてつぎの瞬間、だ液にとろけてねっとりまろやかになったのです。元々おいしいごちそうを、わたしのおなかの中で消化し、それをまた菌類が消化して、さらにミミズが食べてとことん消化しつくしたのですから、極上のまろやかさです。たちまち屁っぴり腰はふきとび、なんとしてでも味を確かめてやろうと口の中を転がしているうちに、だんだんとコクが出てきました。おいしい! はきだすのがもったいなくなってきました──(『ウンコロジー入門』より)

絵本、自伝、図鑑、科学読み物……ノグソをテーマにした著作は4冊。現在、5冊目の構想を練っている。

数十年にわたってノグソを続け、ときには掘り返して確かめ、舌を使ってまでして、その変化を確認する。なぜ、ここまでできるのか。ウンコにまつわる悲喜こもごもをにこやかに語る目の底には、強い光が宿っている。

「人間にはふたつの責任があると思うんです。他の命を奪って食べること。おいしいごちそうを汚物に変えたこと。このふたつの責任の塊がウンコなんです」

現代人は自分の体に入る食べ物には気を使うが、体から出たウンコのことは見て見ぬふりをする。そして糞土師の目は、食事のあいさつである「いただきます」に漂う欺瞞を見逃さない。感謝の意を表すだけで、命を奪われた側への責任を果たしたといえるのか。その感謝の言葉は、自分の罪の意識を軽くするための免罪符に使われてはいないか。だから伊沢は言う。「百万遍のいただきますより、たった一度のノグソを」と。

「敬虔な宗教者であるガンジーも、食べることが命を奪うことだと分かっていた。だからこそ食を制限した……でもそれも、人間という枠内での自身を納得させるための理屈でしかないと思うんです」

生きている間においしいものを食べることはよい。ただ、誰かの命を奪うことで生きながらえている、という自覚をつねに持っていたい。ならば、奪った命の責任をどう果たすのか。それには次なる生物に糧を与えて命をつなぐ──つまりノグソしかない。

「こんなふうに考えられるようになったのは、仙人になることを願った出発点のおかげだと思っています。人間であることを捨て、社会の価値観から離れ、そこに自分の生き様を求める。そのときに答えを授けてくれたのが、きのこなんです」

屎尿処理場の建設反対運動が近所で巻き起こったとき、伊沢は「自分のウンコに向き合わなければ」と思ったという。生産性の向上を目指して作られた下水処理のシステムは新たな問題を引き起こしたが、それに比べて自然は、きのこは、なんの設備を使わなくても人の排したものを無害化し、循環させる。だから伊沢は「きのこに負けた」という思いを抱きながら、きのこの撮影を続けてきた。このときの強烈な体験によって、人間としての傲慢さを捨てざるを得なかったという。

「今の社会は生産性の高さが重要視されますよね。ところが、自然をベースに考えると、生産性とはそれほどすばらしいものなのか、と疑問に思うわけです」

莫大なエネルギーを使って物を作ると、その過程で廃棄物が出る。さらに、できあがった製品は何年か経って役目を終えるとゴミとなる。現代の工業製品で、土に還るものはほとんどない。現代社会の崇める生産性とは、自然から資源を奪い、環境を汚染してゴミをつくることではないか。

「人間以外の動物は、食べてウンコをして成長し、子孫を残して死ぬだけです。余計なことはいっさいせず、いわゆる生産性はゼロ。だからこそ、自然のなかで共生できるんです。わたしは物事の価値を生産性で評価することは間違っていると思います」

地球上の生き物を支える根源は、太陽が生み出す光エネルギーだ。そして、植物は太陽のエネルギーを受け止めて、酸素やそのほかの生物の食物を生み出してくれる。

「そういう意味では、命のもとをつくる植物には生産性がありますね。菌類は植物の死骸から栄養をとり、二酸化炭素と無機物というウンコで植物を生かしているので、生産者としては2番手でしょうか。そう考えていくと、動物はおまけなんですよ」

より楽な生活を求める心と発達する科学は、自然物を資源にして文明を築き上げた。人が生存することに費やしていた力は繁殖へと注がれ、疲弊した自然とたくさんの人間が残った。地球の存続を考える伊沢の思考は、当然、人口問題へとたどりつく。

「輸入に頼ることなく国内で食料を自給し、自然資源を活かした暮らしが続いたのは江戸時代まで。260年も平和が続いた江戸時代でも、人口は3000万人までしか膨らまなかった。つまり、日本の国土が有する生産力は、それくらいなのでしょう」

そうして、にっこりと微笑んだ。

「本当の共生社会をつくるためには、忌むべきものとして遠ざけられている死を、しっかりと受け入れる必要があります」

「生産性が高いということは、より多く資源とエネルギーを消費しているということ。低い方がいいんですよ」

ウンコから考える「しあわせな死」

来るべき共生社会を意識して、最新作である『ウンコロジー入門』は少年少女向けの構成になっている。ノグソを出発点にして地球上をめぐる命の循環のシステムを解き明かし、消費するいっぽうの文明がそれとは両立しえないことをわかりやすく解説している。

「自然はこうした循環で命をつないできた、ということを知ってほしいんです。そのうえで、なにかを判断するときに、目先の利益にとらわれてほしくない。自分、家族、人類にとって役立つかどうかだけで判断したり、常識や良識だけでものごとを考えず、地球全体を視野に入れて思考する……そんなきっかけになればと思っています。本だけではなく、この林に糞土思想を広める糞土塾を開いて、ワークショップなどを開催しようと思っています。その名もプープランド(Poop Land)。ノグソの実践や自然教育の場にします」

伊沢の住まいは、江戸時代に建てられ、改築を重ねて受け継がれてきた古民家だ。現在は離れに起居しており、使っていない母屋を改修し、有効活用しようともくろんでいる。

「そしてゆくゆくは、糞土塾ごと誰かに譲ろうと考えています」

この数年の間に、交通事故に遭って死にかかり、舌癌でも入院した。古希を迎え、思いは自然と死に向かってゆく。

みなが嫌がらず、自然に受け入れられるような「しあわせな死」とはなんだろうか。

現在の対外的な活動のメインは講演だが、自宅と裏山を使ったワークショップの展開も考えている。

「ここでも糞土思想の基本に返るのですが、死も循環にのせてやればいいと思っています。今、自分がここにあるのは、他の命を奪ってきたからです。そうしていただいた命を返す術があるということがわかったら、もう少し、穏やかに死を迎え入れられると思うんです」

野にウンコを返して命をつなぐように、財産やお金も有効利用してもらえる次世代へとつなぐ。写真家時代に人間社会で稼いだものは糞土思想とともに循環にのせ、きれいさっぱり譲るという。思想と蓄えを循環させるだけではなく、物質としての肉体を循環させる方法にも、伊沢らしいアイデアがあるようだ。遺される家族はどう思っているのだろうか。

「そこも人間社会の基準ではなく、自然全体の法則で考えています。それはもう、人間としてというよりも、ひとつの生き物として……。だからやっぱり、わたしは『人でなし』なんです。人からの評価ではなく、他の生き物に顔向けできるかどうかが大事なんですね。万事こんな感じだから、子どもにも勘当されていまして……そういう意味でも、人でなしなのかもしれません」

そして「人を悲しませてしまっては、しあわせな死とはいえませんから、これでいいんです」と伊沢は続けた。

━ヒトがつくりだすもっとも価値あるもの、それはウンコ。━
━人間にできるもっとも尊い行為、それはノグソ。━

伊沢が糞土思想を説明するときに使うフレーズだ。循環を原則にする糞土師の死として、一生で築いたものをノグソと同じように社会に返すのは極めて当然な流れなのだろう。円熟期を迎えた糞土師にはあともう一冊、残しておきたい本があるという。

「生き物として自然と共生するための思想と、心安らかに受け入れられる『しあわせな死』について書きたいと思っています。タイトルだけはもう決めています。『ウンコになって考える』っていうんです」

「うんこは命」。求めると、著書に素敵なサインを書いてくれた。

伊沢正名 糞土師

1950年、茨城県生まれ。1970年より自然保護運動をはじめ、1973年にのちの人生を決定づけるタマゴタケに出会い自然写真家となる。1974年からノグソを開始し、1990年には「伊沢流インド式ノグソ法」を確立。2020年末までのノグソは1万5000回を超える。おもな著書・共著に『きのこ博士入門』、『カビ図鑑』、『日本の野生植物 コケ』、『葉っぱのぐそをはじめよう』、『ウンコロジー入門』など。現在、ドキュメンタリーフィルムの取材を受けており、今秋完成予定。