越境者たちの鳥瞰図

越境者たちの鳥瞰図
虫が変える世界の食卓。昆虫食研究者が思い描く「虫を食べると得をする社会」前編

ナンバー

05

虫が変える世界の食卓。昆虫食研究者が思い描く「虫を食べると得をする社会」前編

育成に伴う環境負荷が畜肉と比べて小さい可能性が見出され、次代のタンパク源として昆虫が注目されている。日本でも昆虫食のプロジェクトがあちこちで動き出しているが、「蟲ソムリエ」を名乗る佐伯真二郎は、他のプレイヤーとは少し違った目線から昆虫食の未来を見通している。虫愛づる男が夢見る、昆虫の新しい食べ方とは。

聞き手:藤原祥弘
撮影:高橋郁子

2021.05.19

/ Posted on

2021.05.19

/ 聞き手
藤原祥弘
/ 撮影
高橋郁子

野生食材としての昆虫

人が食べても直接栄養にできない植物からも動物性の栄養を生産でき、また畜肉と比べて育成時の温室効果ガスの排出量が圧倒的に小さい種が見つかったことから、近年、昆虫食が世界的な盛り上がりを見せている。

日本でも大手製パンメーカーや生活雑貨小売などが昆虫食に参入し、食の分野で昆虫が存在感を示しつつある。その牽引役のひとりが昆虫食研究者の佐伯真二郎だ。「蟲ソムリエ」を名乗る佐伯は、これまでに419種もの昆虫を自分の舌で味わい、食品としての将来性を評価してきた。現在は日常的に昆虫が食卓に上るラオスに拠点を置き、ラオスの抱える栄養問題を昆虫食によって改善しようとしている。

日本に帰国中の佐伯に、昆虫食の現在と未来について教えてほしいとお願いすると、冬枯れの河川敷へと案内された。ここで野生の虫を採集して食べさせてくれるという。

「芽吹きの前は食べられる昆虫が多い季節ではありませんが、越冬中の昆虫にも食べられるものがあります。丁寧に探せば、この時期だからこそ味わえる虫に出会えると思いますよ」

そう言うと佐伯は、河岸に生えるサクラを上から下まで丹念に観察し始めた。数本目で足を止めると、にっこり笑って枝の又を指差す。目をこらせば、そこにはマーブル模様の卵形の繭が隠れていた。

「イラガの繭です。今日はこの繭を少しもらっていきましょう」

河岸の広葉樹をすみずみまでチェックする。「イラガはいろんな木をの葉を食べますが、このあたりではサクラに多いですね」。
サクラの枝先に着いたイラガの繭。かつては小物釣りの餌として人気だった。現代アートのようなパターンと配色。

イラガといえば庭木や植栽を食害し、毒のある刺を持つガだ。そんなものを食べて大丈夫なのだろうか?

「在来のイラガであれば、繭のなかの前蛹(さなぎになる前の状態)の刺は柔らかい。火を通せば大丈夫です。外来のイラガの繭では、なかに残った幼虫時代の脱皮殻の刺が刺さることがありますが、その繭とは見た目と着く場所で見分けられます」

河岸のサクラを見て回ること数十分。10個ほどのイラガの繭を集めることができた。あらかじめ用意してくれた他の昆虫と合わせ、佐伯は卓上コンロで調理にかかった。

「それでは、せっかくなので……」

そう言いながらバックパックから取り出したのはコックコート。その胸には理事を務めている「食用昆虫科学研究会」の文字が刺繍されている。科学的に昆虫の価値を評価し、食材として遇する。コックコートには佐伯の昆虫への姿勢が表れている。

手慣れた様子で昆虫を調理。あっさりした味わいの昆虫は油を補う料理と相性がいい。

フライパンにオイルを張って火を着けると、佐伯は頃合いを見てイラガの繭を投入した。繭のまわりに細かい気泡がプツプツと湧く。時折ふわりと香ばしい匂いが漂う。軽く色が着いたところで、繭を引き上げて油を切る。

続けてバックパックから登場したのは生きたバッタだった。温度を高めた油に佐伯は躊躇なくそれらを投じていく。油のなかでバッタが身悶えしたのは一瞬。加熱とともに少しずつ色が着き、バッタは鮮やかな赤色へと変わっていく。立ち上る香気に覚えがある。エビを油で揚げたときと同じ匂いだ。

「このバッタはトノサマバッタ。私は日本の自宅でも養殖しているので、1年を通じて新鮮なものが手に入ります」

家畜ならぬ家虫のトノサマバッタ。野生のものよりシルエットが少しスリムだ。見た目も味も川エビに似ている。

流れるような手さばきで昆虫が調理されていく。バッタを引き上げるとマッシュルームを半割りにし、ナッツをスキレットに敷き、そこにゴロゴロと何かを入れた。よく見知った食材に続けて登場したので脳が戸惑うが、見れば間違いなくセミの幼虫だ。これにオリーブオイルを加え、低温でじっくり火を通していく。ナッツの匂いに混じって、動物性のタンパク質の匂いが感じられる。嫌な匂いではない。香りは好ましい食物であることを主張している。

「このセミは昨年の夏に採集し、茹でて冷凍保存していたもの。産地はとある公園です。実は、セミは自然度の高い場所よりもある程度都市化が進んだ場所のほうが採集の効率が良いんです」

油のなかで香ばしい匂いを放つセミ。食用の甲殻類とふだんは食べない虫。その境界はどこか。虫と食物の線引きが揺らぐ。

セミが現れるのは日没後の1時間がピーク。この時間にセミの多い場所を巡回して地面の穴から出てきたセミを回収していくという。

「セミを探すなら見通しの利かない里山よりも、下草や落ち葉のない公園のほうが好都合です。そして、セミは1分で30cm程度の速度で木に登るので、穴を出て10分もすれば3mの高さに達してしまう。タイミングを逃すともう手が届きません。セミの抜け殻をヒントに出現率が高い木に目星をつけ、それらを効率よく巡回できるかどうかがセミ採集の成果を左右します」

佐伯は10分で300m程度を歩くコースを設定し、1時間でこれを6周する。条件の良い場所では1時間で500g以上のセミを採集できる。自然界からタンパク質を入手する手段としては、かなり効率が高そうだ。

「セミは成虫も食べられますが、羽化する前は身が詰まっていて食べやすい。虫を食べる文化圏では人気の食材です。日本の昆虫食界隈でも、ほかの虫は食べないけどセミだけは食べる人もいるほどの人気食材です。それでは、召し上がってください」

左から時計回りにトノサマバッタのカナッペ、イラガの素揚げ、セミとマッシュルームのアヒージョ。見た目にも楽しい。

でき上がったのはトノサマバッタのカナッペ、イラガの繭の素揚げ、セミとマッシュルームのアヒージョの3品。彩りやそのほかの食材との相性、目にしたときの楽しさまで意識されている。繭とピーナッツ、セミとマッシュルームなど、大きさや形をそろえたことに遊び心も感じられる。虫を食べることに抵抗を感じるかと思ったが、見た目のおかげで無理なく手が伸びる。

まずは採集に立ち会ったイラガの素揚げ。殻を剥き、なかのイラガを口に入れる。舌先で潰すとタンパク質の旨みとナッツに似た香りが口に広がった。魚の肝臓に似たコクもある。調理の妙もあるだろうが、これはひとつの食材として美味しい。カナッペにも手を伸ばす。バゲットの上のバッタは、匂いと同じく味も食感も川エビに似ている。カリッと焼き上げられたバゲットとの相性もいい。

そして、セミのアヒージョ。噛んでみると殻のなかから素朴な旨味が溢れ出してきた。嫌な食感も味もなく、噛むほどに筋肉から味が流れ出る。動物質でありながら味や匂いには植物らしさも感じられる。これは一緒に火を入れたマッシュルームやナッツの影響ではなく、セミ本来の味だろう。セミの幼虫は土中で木の根から吸汁して成長する。植物に味が似るのは当然かもしれない。

こちらの反応を伺う佐伯に「採集時は少し抵抗があったが、食べる前にはなくなった。そして食材としておいしい」と告げると、佐伯は笑った。

「そうでしょう? 虫は美味しいんです。しかし、実は私も最初は昆虫食に抵抗があったんです。そしてその抵抗感の源泉を探る試みが私を昆虫食へと引き込んでいきました」

「バッタは美味しい。派手な旨味ではないけれど滋味がある。糞を炒ってつくるお茶も美味しいんですよ」

虫をめぐる冒険

佐伯の昆虫食の原体験は少年時代に遡る。母方の祖父母は岐阜県の飛騨に住んでおり、そこにはハチの幼虫をはじめとする昆虫を食べる食文化があった。帰省中に雨戸に巣を作ったアシナガバチを見つけ、それを祖父に教えると、祖父はアシナガバチの巣を焚き火で調理して食べさせてくれた。

「祖母と母はハチを食べたことがあったけれど、兄と私は初体験。黒くなりかけのさなぎがおいしい、といった家族の昆虫談義を聞きながら食べたので、違和感を持たず口に運び、美味しいと思ったことを覚えています」

その後、佐伯少年は昆虫を中心とする自然科学に興味を持ったものの、大学進学を決めるころには興味は分子生物学へと移っていった。大学ではショウジョウバエをモデル生物にして遺伝学を研究するようになった。

「そのころはすっかり昆虫食から離れていましたが、実験に使っているショウジョウバエを見ていたときにふと、『こいつら、食用にならないかな』と思ったんです。しかし同時に湧き上がったのが『こんなの食べたくない』という思い。この虫は食べられるのか? 食べたくないのはなぜか? どんな条件なら、食べてもいいと思えるのか? 疑問をもった私は『昆虫』と『料理』という言葉で検索をかけ、内山昭一さんが著した『楽しい昆虫料理』という本を発見しました。すぐさま入手して開いてみると、そこにはたくさんの昆虫料理が紹介されていた。そして、ページを繰るうちに昆虫は食材でいいんだ、と腑に落ちたんです。それから、昆虫を手に入れてはそれを調理する活動を始めました」

イラガの前蛹。幼虫のときは人を鋭く刺す刺も、この状態では柔らかくなっている。

遺伝学と料理。ふたつの異なる分野で昆虫と関わり続けていたが、あるときその2つが合致する。食料資源としてのバッタの可能性を研究することになったのだ。

「バッタの研究はハードでした。温室効果ガスの排出こそ少ないものの、バッタは1日に体重の1.5倍の草を食べます。体重300kgのウシでも1日に食べる草の量は60kg程度と言ったら、バッタの食欲が伝わるでしょうか。私は大食漢のバッタのために来る日も来る日も草を刈り続けました。残念ながらバッタの研究は直接的には実を結ばなかったのですが、この研究の縁で私はラオスで昆虫養殖の技術指導の職に就くことになりました」

声をかけてくれたのはISAPHという国際協力系NGOだった。アジアとアフリカにおいて地域住民の保険医療の向上に貢献するISAPHが、ラオスの栄養改善を図るために昆虫食と昆虫の養殖のスペシャリストである佐伯に白羽の矢を立てたのだ。

「実はラオスに向かう前、研究で思うような成果を出せないことに苛立っていました。昆虫食の発信をしても思うような評価と反応が得られない。果たして、嫌われているのは私なのか虫なのか。そんなふうに思い詰めていました。ところが、ラオス政府に昆虫食を通じた栄養改善の可能性についてプレゼンテーションをすると、すんなり受け入れられてしまった。昆虫を食べるラオスでは、昆虫食をすすめる私の活動は新しいけれど不思議ではないものだったんです。日本での奇抜な人扱いから一転、私はラオスで『虫の養殖技術に詳しい普通の人』になれたんです」

ラオスへの赴任をきっかけに、佐伯の活動はより環境や社会へ寄り添うものになっていく。

「ラオスに行くまでは、多くの人に昆虫を食べてほしい、どうやったら昆虫食が受け入れてもらえるだろうかと考えていましたが、日本とは反対に虫を食べるのが当たり前のラオスに行ってからは、そう思わなくなりました。食べたくない人は昆虫を食べなくてもいいんです。しかし、昆虫食の普及を強く願わなくなった代わりに、これまで昆虫を食べてきた人、あるいは食べたいと思って変人扱いされてきた人が損をしてきたのではないか、という問いが思い浮かんだ。日本は虫を食べる側が損を強いられる社会ですが、ラオスは虫を食べる側が得をする社会です。それなら、虫を食べると得をする小さな仕組みをつくれば、自ずと昆虫を食べる社会がやってくるのではないか。これまでの日本の昆虫食に欠けていたのは『食べた人が得をする仕組み』だったんです」

佐伯真二郎 蟲ソムリエ

食用昆虫科学研究会理事長。昆虫食を通じて昆虫と人間の関係をより良くする「蟲ソムリエ」の活動を展開する。現在はラオスに滞在して昆虫の養殖技術の普及による農村部の栄養改善と所得向上に取り組んでいる。SNSとブログでは、農業、アート、自然科学の視点から昆虫食の最新情報を発信する。著書に『おいしい昆虫記』がある。